成功はどれだけ繰り返すか

成功する人ってどんな人でしょうか?

成功した人の話を聞くとその人の人間性はともかく、皆いずれにしても成功するまで挑戦し続けたというお話をよく聞きます。

 

いろんな物事を成し遂げようとする際に色々な要素が成否を分けますよね。その分野の勉強時間、製品などを作ったりするための資金、挑戦するための時間的余裕など様々な要素があります。

しかし、それらの要素を用意すれば即成功できるかといえばそういうわけではありません。どんなことでも挑戦には失敗がつきものです。その失敗はそもそもの勘違いや計画のミスなどがあるかもしれません。

しかし、その他にもその物事自体の難易度による要求される技術的水準の高さや挑戦する時期の良し悪しなどもあるでしょう。

 

そんな時にどうすればいいのか?技術が足りないなら修練すれば良いでしょうし時期が悪ければ良い時期に挑戦すれば良い。

しかし、現実的には技術が足りないからか時期が悪いからか必ず分かるわけではありません。何が原因か分かりにくい場合も数多いと思います。

そんな時に分かるまで挑戦しないでいるべきか?

仮に挑戦しなければその間に他の人が挑戦して先に成功されてしまうかもしれません。失敗の原因が技術不足ならいつまでも技術が改善できないかもしれません。

ならば、足踏みしているよりも挑戦することで成功させる。こういう発想が成功した人の共通認識なのかもしれないな、と考えたわけです。

 

ここである言葉を紹介させてください。

アメリカの大学でアメリカンフットボールという競技のコーチが選手に送った手紙「ダレルロイヤルの手紙」と呼ばれるものの中身、その一部です。

 

フィールドでプレーした事のある者ならば誰でも一度や二度屈辱を味わされるだろう。

打ちのめされたことのない選手など存在しない。

ただ一流の選手はあらゆる努力を払い速やかに立ちあがろうとする。

並の選手は少しばかり立ち上がるのが遅い。

そして敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである。

 

このような事が書いてあるそうです。

誰でも新しく始める事で失敗をする。その要因は自分の力が足りないからかもしれないし、他の誰かが原因かもしれない。

でも、その要因がなんであったとしてもまず重要なのがどこなのか?

成功する、勝つ事が重要であるなら勝つために必要なことをしなければならない。その勝つために必要な事は何か?

 

それこそが挑戦すること、挑戦しない限り勝てる可能性自体が存在しない。確かに挑戦する際に勝てる方法を考慮する事は重要ですが、それはあくまで前提条件、勝つための必要条件は挑戦する事なんです。

挑戦しなければどれだけ素晴らしい能力を持った人でも成功しない、決して勝つ事がない。

 

もちろん、屈辱なんて誰でも味わいたくなんてないでしょう。できればすんなり成功したいでしょう。挑戦する事で茶々を入れられるのは業腹です。

しかし、自分に本当に大事な事がどこにあるのかを見据える事で挑戦と屈辱の天秤を傾けられる。勝ちたいという執念でもって挑める。こういう均衡を崩せるという事が成功する上では重要なんではないでしょうか?

私も自分のしたい事、成功したい事のために何度も挑みたいと考えたきっかけの言葉を紹介させていただきました

いかに決断を避けるかがストレス軽減の元

最近思ったんですよ。日常のストレス感強くない?と

それでどうしてかな〜?って考えていたんです。これだっていう確たる答えは出なかったんですが、日常を振り返って思いました。ストレスは強いけどそこそこ自分で選んだ事はやれてるよな…って

 

そこから決断をすることはストレスの元になるんだという発想になりました。

当たり前と言えば当たり前かもしれません。だって企業の社長とか上役になればなるほど決断を迫られますし、そんな彼らはなかなかにストレスが強いはずです。

 

しかし、小市民な我々がそんなストレスを伴う決断をするのか?という考えもあります。

さて、振り返るとどうでしょうか?

あれがしたい、これがしたい、これをしなければならない。

したい事としなければいけない事の取捨選択。したい事を行うために消費できる金銭や時間の限界といった諸々の制限と向き合って自分の行動を決めていくわけです。

 

この決断ってある種、企業の上役と同じくらい重いと言えませんか?自分という満たさなければならない存在をどのように動かして豊かにしていくのか?そこを失敗した時は自分が責任を背負わなければならない。

そりゃストレスになりますよ。

人生ストレス塗れですね。

 

でも誰だってストレスは背負いたくないはずです。

鬱陶しいですもん。私は少なくとも自由に気楽に生きていきたいです。正直に言って

でも、自分自身の人生っていう責任から逃げるわけにはいきません。逃げても誰も私の人生を幸せにしちゃくれませんから。

じゃあどうやってストレスを軽減するのか?

それがタイトルにも書いたようにどれだけ決断を避けるかです。

 

いやいや待てよと。決断しないと幸せになるための行動できんだろと。それは同意します。でも、一つ大事なことがあります。私達人間は今まで楽になるために数多の技術を作り出してきた生物です。私達は自分たちで理解してるんです。楽をしようとする事が重要だと。

 

決断を避ける=決断しないではないんです。

重要なのはストレスを感じる原因である自分で決めるという事を避けることです。別に他人に委ねろってわけじゃないです。

二つの道があった時どうやって道を選ぶのか?

 

そこを自分で調べて考えて決断するからストレスが強くなるんです。特定の条件下で、自分が予め決めてあった方法で道を選べばストレスは結果によるものだけ、選択というストレスを避けられます。

 

では特定の条件下、自分が予め決めてあった方法、これらをどのように設定しておくのか?

そこで重要になるのが普遍的なデータです。こういう時にああいう風に行動したらこういう結果になりやすい。いわゆる期待値、その選択でどういう結果になりやすいか?を知って、それに従って行動すれば良い。

 

そうすれば状況の移り変わりを一々監視する手間を少なくできる。自分で調べる手間を限界まで省ける。自分で決めないといけない事を最大までなくせる。

ストレスフリーとまでは言いませんが、できる限りストレスをなくせます。

かかるストレスはデータを調べるというストレスと結果を受け入れるストレスだけ。これは自分で選択してもどうせ伴うストレスですから仕方ありません。

 

できる限り決断を避けて可能な限りストレスのない人生を。時には決断する事で楽しみを得る事もあるとは思いますが、どうせしないといけないだけのために余計なストレスを感じる必要もありません。

私は今度、可能な限りそのようにできるように行動したいです。良ければこれを読んでくれたあなたもどうぞ。

本当に面白い事

何を面白いと感じるかは人それぞれ

でも人に面白いと思われるには相手にとって面白い事を提供できないといけない。

これは多分誰でもそうだろって思うんじゃないでしょうか?

 

でも、私はそれより大事なことがあると思ってます。

それが面白くない事を言わない事。

当たり前だろと言われるか、面白い事を言えないからつまらないんだろと言われるかのどっちかだと予想してますがどうでしょうか?笑

 

昨日今日とTwitter(今はXでしたっけ)で有名人の発言をきっかけにした奢り奢られ論争を見ました。

この有名な人、YouTubeで配信してるわけです。その人の動画、私結構好きなのでよく見てるんですけど、一部ヒステリックになった人とかが動画の感想欄で暴れたりしてるんじゃないか?とふと思って動画見ながら感想も見てたんです。

でも、ほとんどそういう感想は見なかった。感想欄は純粋な動画に対しての感想がほとんどでした。

その様子をみて、面白いっていうのはこういう事なんだと感じたんです。

 

どういうことか?

感想欄って誰のものだと思いますか?

いろんな人が動画を見てそれに対しての感想を言う場所。ええ、間違ってません。でも、1番芯を突いたわけでもない。

感想欄とは…動画を配信する人に動画を出して良かったと思ってもらえるための場所だと私は考えます。

つまり、視聴者が配信者を喜ばせるための場所です。

 

そう思った理由を書きますね。

 

だって、感想でこの動画つまんない、こんな内容の方が良かった、あいつの方が面白いとか書いたらどうなると思います?

私が動画を出す側なら鬱陶しいと感じますし、そんなやつのためになる動画を出す気力はなくなります。間違いなく。

そうなったらその配信者の配信を見たい人って何か得になりますか?絶対なりません。

 

感想でこうした方が良いって指摘した方がより良い動画出してくれるじゃないか!?とか考える人いますかね?

だとしたら動画作った側だと思ってください。

動画作った側は不特定多数に動画を提供するんです。その中で大多数は興味がないって人たち、残りの一部が興味を持ってくれる。興味を持ってくれる事は嬉しい。でもその興味を持った方向がこの動画がいかに面白くないかについてだった。

 

さあ、あなたはその動画をより面白くするために努力できますか?

できると仰ったあなたは努力家というより被虐趣味の可能性があるのではないか?と疑心を抱いております。笑

基本的に人間って怠け者だしお調子者です。痛めつけられてそれでも負けるかって立ち上がれるのはそれ以外に道がない人ばっかりでしょう。

動画配信を専業にしてる人もいると思いますけど、大半は副業とか本業の隙間にやるとかだと思います。そんな中で動画をつまらなかったなんて感想を本人に伝えるのは動画作らなくていいよ〜なんて理由を作ってあげるようなもんです。

 

寧ろあなたの動画最高ですって言うだけでモチベーションが高くなって良い動画出してくれるのを期待した方がコスパ良いんです。

 

だから、動画の感想欄はあくまで配信者が喜べる場所を作るためのものというのが私の結論です。

さて、そろそろ最初の話に戻りましょう。なんでしたっけ?面白い事を言える人ってどんな人かでしたね。

 

そう、だから面白い事が言えるっていうにはそれ以前に面白くないと思われない必要があるんです。

相手に面白くないと思われたら話を聞く気を失くされてしまいます。そうなったらもう話はそこで終わりです。

面白くない人が面白い事を言ってもへーそうか、で流されます。

面白くない事を言わない人が面白い事を言って初めて面白くなるんです。

 

だから自分がいたい場所で何が面白くない話なのかを理解するっていうの凄く大事です。

 

っていうのを今まで考えず好き勝手に振る舞ってたなぁって自覚してしまった1日でした。

これ読んでくれた人はそんな事にならないように気をつけて楽しくやってください。

1日1日が穴が空いたみたい

この間COVID19に感染しました。

その間、凄くしんどかったわけですが、治った後も毎日が怠くて朝起きた後かなりの時間吐き気がしたりご飯の量が大幅に減ったんです。

それからというもの、日々を過ごす事が凄く空っぽに感じてしまってるんです。

後遺症に抑うつがあるらしいんでそれかな?とか思ったりもしますけども…

元々、鬱になりやすい気質だからそうなってるんだろうなって自覚してしまって余計辛く感じちゃいます。

 

こういった鬱になるのってウイルスとか脳の慢性炎症とか最近聞くんですけど、そういう原因だと個人で対処できないから聞いても役に立たないんですよね。

じゃあ個人で何ができるの?とか思ったんです。

まあ医者に診てもらえよって話かもしれませんけどそれ以外で。

 

そこで前読んだマインドフルネスの本を思い出しました。

その本では気分が落ち込む人って過去や未来について考え続けてるから脳が疲労しやすいんだって言ってたんです。

マインドフルネスは今に集中させるためのものだと。

気分が落ち込んで動くのも辛いけど動かざるを得ない日々だから、せめてできる時にそうしてみようって考えました。

やる事は簡単にできる事だけ、ベッドに横になってる時とか、何もしていない時に呼吸する事だけに意識を向けたり、仕事の待ち時間に車で待機中に前の方にある木々が風で揺れる事に集中したりしてます。

 

ちょっとだけ楽になってる気がしなくもないかな。

また書いてみます。